2023年現在、大阪府でギター・ウクレレ・ベース教室を主宰されている、二本樹顕理(にほんぎ あきまさ)さん。
実は、黄金期のジャニーズJr. に在籍され、現在の人気アイドルと共に活躍されていました。
そんな二本樹さんについて、調査してみました。
ぱっと読める目次
二本樹顕理の同期が豪華!
二本樹顕理さんが、ジャニーズに入所されたのは、1996年8月1日です。この年に入所されたメンバーは、他に、こんな豪華メンバーがいます!
嵐:松本潤さん(5月17日)、二宮和也さん(6月19日)、相場雅紀さん(8月15日)
元NEWS: 山下智久さん(9月1日)
関ジャニ∞:渋谷すばるさん、丸山隆平さん(共に9月22日)、横山裕さん、村上信五さん(12月25日)
他に、生田斗真さん(2月11日)
参照:ジャニーズ事務所のタレント一覧 - タレント辞書 (talent-dictionary.com)
二本樹顕理(にほんぎあきまさ)のプロフィール
二本樹さんのプロフィールを見ていきましょう。
- 誕生日 1983年8月22日
- 出身 神奈川県横浜市
- 血液型 AB型
- 現在の職業 二本樹顕理ギター・ウクレレ・ベーススクール主宰
二本樹顕理の名前の由来
二本樹顕理さんのお名前は、難しい読み方ですよね。顕という字の意味は、明らかにする、とか、明らかであるというような意味です。理は、ことわりとか、ものごとの正しいあり方というような意味ですから、「ものごとのただしいありようを、明らかにする」というような意味のお名前ですね。
調べたところ、「顕理」という言葉は、仏教の天台宗の書物にでてきます。(8世紀)普通に思いつくようなお名前ではありませんから、権威のある書物が出典ではないかと思います。
お名前は、お父さまがつけられたとのことですが、お父さまの教養のほどがわかりますね。顕理さんも、きっととても頭の良い方、そして、お名前の通り、正義感の強い方なのではないかと思います。
二本樹顕理ジャニーズ入所のきっかけ
二本樹さんは、マイケル・ジャクソンの大ファンで、お母さまと来日公演を観に行き、歌って踊れるスターになりたいと思ったそうです。
二本樹顕理の経歴
それでは、二本樹顕理さんの経歴を見ていきましょう。
1996年8月1日ジャニーズ合格
中学生になって、歌って踊れるスターの夢を果たすべく、ジャニーズ事務所に自分で履歴書を送りました。その後、電話がかかってきて、横浜アリーナで開かれた、Kinki Kids のコンサートで、バックに座るセットリストに入り、Jr.の仲間入りをしました。
この時、オーディションに合格していたことを知ったそうです。
入所3ヶ月後:学校でいじめに合う
二本樹さんの小学校や中学の名前や地名は不明ですが、芸能活動を始めてから、いじめに合うようになったそうです。
当時のジャニーズJr.の練習は、学校が終わってから10時まで、土日も休みがないときもあったと言います。疲れから、授業時間に寝てしまうことも。そのうちに、いじめにあうようになり、学校に居場所がなくなり、不登校気味になってしまったそうです。
大変ですね。芸能活動をしている方が、子役時代とか学校時代にいじめにあう、という話はよく聞きますが、忙しすぎる、というのも一因でしょうね。
1990年:Jr黄金期
ジャニーズjr.は、もとはジャニーズのレッスン生でした。先にデビューした先輩グループのバックダンサーという位置づけでしたが、次第に人気がでてきて、雑誌『明星』などでも、大きく特集が組まれるようになります。いわゆる「Jr.黄金期」と呼ばれる時代を迎えることになります。
1997年:B.B.B/Jrkids/少年新選組/翼翔組/B,I,Gなどユニット所属
二本樹顕理さんJr.所属時代には、テレビでも、冠番組『愛LOVEジュニア』(テレビ東京系列)が開始。1998年から2002年ごろまで、番組名にJ をつけた番組が多数放送され、さらに、東京ドームなど三大ドームや日本武道館などでもコンサートが行われ、絶大な人気を博すようになります。
グッズも多数販売され、女の子たちの間で大人気となりました。
そんななか、二本樹さんはいろいろなユニットで活躍するようになりました。ジャニーズJr. では、グループが結成されても、のちに解散したり、別のメンバーで新しいユニットが組まれたり、常に流動的な状態でした。
1998年:ジャニーズ退所
1998年、ジャニーズに入所してから1年後に、二本樹顕理さんは、お父さまの仕事の関係で日本を離れ、渡米することになります。
そして、ジャニーズ事務所を退所しました。
二本樹さんは、15才のときからギターに目覚めていきます。
パロスバーデスペニンシュラ高校へ入学
渡米された二本樹さんは、ロスアンジェルスのパロスバーですペニンシュラ高校へ入学されます。カリフォルニア州ですので、アジア系の学生も多かったのではないでしょうか。
「NO CURFEW」でメジャー・デビュー
その後、二本樹顕理さんは16歳で、リードギタリストとしてロックバンド ”No Curfew" に参加します。レコードジャケットの左から二番目が二本樹さんのように見えますが、表情がきまってますね。
No Curfew は、ユニバーサルポリドール社など大手のレーベルと契約し、MTVに出演、欧州へのツァーなど幅広く活躍していました。二本樹さんは、ポリドールの専属アーティストとして契約しています。まだ10代ですから、すごいことです。
完全にメジャーデビューしていたんですね。
メンバーに、ステージネームがThundercat の名前で知られるスティーブン・ブルーナーが、ベーシストであり、この年代のアメリカのロックやR&Bを知っている人なら、「えー!!」というような。。。
2002年:ニュージャージー州に移住
残念ながら、No Curfew は、2011年に解散してしまいます。その後、二本樹さんはカリフォルニアからニュージャージー州へと転居します。
そこで心機一転、エスニック音楽へと転身します。二胡奏者ジャック・スー氏と組んで、”GenSo-Fantagia”を結成します。演奏活動をどんどん広げていきました。
2003年:バークリー音楽大学パフォーマンス科に入学
2003年、二本樹さんは、ボストンのバークリー音楽大学に入学しました。ここは世界的にも有名な音楽院でまさに名門です。ここで、一流の講師陣から、二本樹さんは、ロックギター、ファンクギター、ブルースギター、ジャズギター、フュージョンギター等の指導を受けています。
二本樹さんは、この時代にクリスチャンになり、ゴスペル・ミュージックにも目覚めたとのことです。ゴスペルをご自分のなかに取り入れられたということは、ものすごくリズムの幅が広がったということじゃないでしょうか。大変な能力です。(だいたい、バークリーに入れたというだけで、すごいので)
2004年:日本に帰国
二本樹さんは、2004年に日本に帰国されました。その後の活動はのちほど見ていきましょう。
二本樹顕理の所属ユニット
それでは、二本樹さんの少年期に遡り、ジャニーズ時代の経歴をみていきましょう。
1997年:B.B.Bの第一期サポートメンバー
二本樹さんの活躍は、所属機関が短いので、ほぼ1997年に限られます。ただ、Jr.のユニットの結成や解散は、わりと頻繁で流動的だったため、二本樹さんも複数のユニットに所属しています。
最初のユニットが、B,B,B,(Best Beat Boy)のサポートメンバーです。
B.B.B.のメンバーは、松本潤さん、二宮和也さん、相場雅紀さん、生田斗真さん、石橋亮さん、遠藤司さん。
Jr.kids
その後、Jr.Kidsに移ります。
メンバーは:
宮城智之丈さん、ダサリア麻巳さん、矢代徳久さん、伴貴将さん、森近政司さん、小場賢さん、山本真暢さん、岩本弘志さん、相沢裕輝さん、野田優也さん、猪狩裕一さん、そして二本樹顕理さん。
少年新選組
その後、少年新選組に抜擢されます。
メンバーは:
原知宏さん(リーダー)、大野智さん、大坂俊介さん、野田優也さん、矢代徳久さん、山崎哲寛さん、大堀治樹さん、田中純也さん、北山純一さん、そして、二本樹顕理さん。
翼翔組
つばさしょう組が夏に結成されます。
メンバーは:
今井翼さん、櫻井翔さん、野田優也さん、矢代徳久さん、山崎哲寛さん、そして二本樹顕理さん。
B,I,G
1997年秋に結成されたのが、B.I.G です。
メンバーは:
松本潤さん、生田斗真さん、風間俊介さん、矢代徳久さん、野田優也さん、そして二本樹顕理さん。
二本樹顕理のジャニーズ時代の画像
ジャニーズJr.に在籍していたころ、二本樹さんは14才でした。はじける笑顔がかわいいですよね。
二本樹顕理の2023年現在の仕事はギター講師
二本樹さんは、そのアメリカ仕込みの腕前から、日本人アーティストのみならず海外アーティストとのコラボレーション、ライフサポートやレコーディング、そして楽曲提供までしていらっしゃいます。素晴らしいですね。
現在は、ギター、ウクレレ、ベースの教室を主宰されています。
本樹顕理のギター経歴
二本樹顕理さんは、米国ロックグループ Curfew でリードギタリストを務めたのち、バークリー音楽院で、ロックギターのみならず、各種の奏法を万で来られました。その幅広い音楽的素養は、ロック、ジャズ、フュージョン、ファンク、ゴスペル、ボサノヴァ、R&B、カントリーにまで及び、ギタリストとしての道を、しゅくしゅくと歩んできたように思えます。
二本樹顕理のギター教室は豊中市
現在は、大阪府豊中市で、ワーシップギター教室を主宰されています。また、動画サイトでも、ギター奏法だけでなく、著作権などの楽曲に関する知識を教えてくれたり、音楽活動一般へのサポートも行っておられます。
まとめ
いかがだったでしょうか。二本樹さんは、ジャニーズJr.の在籍期間が1年ほどと短く、その後は、当初の「歌って踊れるスター」ではなく、ギターという楽器に魅入られ、きわめて才能と経験を積んだギタリストとなられました。
ジャニーズをやめられてから、アメリカに渡られ、日本では得られなかったような刺激をたくさん受けられたのかと思います。音楽への一途な情熱とまじめなお人柄を感じます。